小説・エッセイ募集!お風呂のしあわせ

今回487作品のご投稿を頂きました。ご投稿いただきました皆さま、ありがとうございました。大賞が決定いたしましたので、ご紹介させていただきます。その他の入賞作品については、エブリスタからご確認いただけます。



大賞:千年前のあなたは柚子湯の夢を見るか


著:M.M.M


「弱ったなあ……」


信号待ちをしている間、私は車の助手席を陣取るビニル袋をちらりと見た。

透明な袋の中には緑色の塊がいくつもある。会社の同僚からおすそ分けで「ゆず」をもらったのだ。しかも20個。もらって困るものといえば旅行先のキーホルダーとか結婚式のお皿とかあるけれど、ゆず?私はゆずが大好物なんて言ったことはないし、名前が柚子というわけでもない。

1個や2個なら焼き魚にかけて終わりだが、こんなに多いと使い道に悩む。私がお菓子作りを趣味にしているならゆずケーキか何かを作るかもしれないが、そんな趣味はない。キッチンにほとんど立つことはなく、近所のスーパーのお惣菜コーナーとはすでに腐れ縁の域に達している。

いいえ、自炊はしてますよ。だってお米は炊くから。

そこが私の最終防衛線だ。


「ゆず・・・ゆず湯とか?」


信号が青に変わり、私はアクセルを踏みつつ大量のゆずを使う方法を思いついた。

なにかのCMみたいにお風呂に浮かべてしまおう。15個くらい贅沢に。そうすればすぐに使い切るはずだ。


「掃除がちょっと面倒だけど……」


一人暮らしを始めて3年目。私は浴槽を洗うのが面倒なのでいつもシャワーだけで済ませている。お湯を張るのに気後れしそうになったが、「いや、さすがにまずいぞ」と自分に危機感を覚えた。浴槽を洗うのさえ面倒って日本人としても文明人としてもどうなんだろう。このままでは掃除も面倒になっていずれ部屋がゴミだらけになってしまうのでは。


「よし!お風呂にお湯を張る!これは決定事項!」


私は文明人でいるために車内で大げさに誓いを立て、スーパーの駐車場に入った。
今日の夕飯を買うためだ。我が相棒、お惣菜コーナーは「たまには料理したら?」などと言わずに私を出迎えてくれるだろう。 料理さえ億劫になっている時点で文明人として怪しい?そんなことはない。だってお米は炊くから!


私はひじきの煮物とレバーの炒め物、そして野菜のパックを買い物かごに入れた。
その後はお菓子コーナーに立ち寄って一種類だけ選んだ後、すぐにレジへ向かおうと思ったが、ふと思い直してある場所へ足を進めた。
アイスが陳列されている冷凍庫の前である。
お風呂に浸かった後は冷たいものが欲しくなるのでは?私はそう思ってガラスのむこう側に整列する商品を眺めた。


(そういえば子供のときにお風呂でアイス食べたっけ・・・)


何かのテレビ番組に影響されたのだろう。母親に頼み込んでやってみたのだ。どんなアイスだったかまでは記憶はないが、今でも覚えているということはそれなりに美味しかったはず。そうだ。お風呂でアイスを食べるってちょっと贅沢な気がする。
私も今や社会人であり、そういうことを自由にできる年齢なのだ。やるしかない!
私はどれを選ぼうかしばらく悩んだが、ポタポタと滴る危険を考えてみぞれ味のカキ氷を選んだ。木の匙はいらない。あれはけっこう使いにくいと思う。


駐車場に戻ると私のゆずが盗まれていた、などというサプライズは起きておらず、大量のゆずは私の帰還を無言で祝福してくれた。


家に帰ると炊飯器に赤い光が光っており、お米の匂いがほんのりと漂っていた。
私は浴槽にゆずをゴロゴロと投入して湯を張り始める。その間にお惣菜をコタツの上に並べ、炊飯器からご飯をよそうと残りをラップに小分けした。入居した頃は1合ずつ炊いて炊き立ての味を楽しんでいたが、今や3合を一気に炊いて冷凍庫に保存している。徐々に最終防衛線が下がっているなと一人暮らしの危機感を改めて覚えた。
電気ポットでお湯を沸かし、インスタントのお味噌汁を溶かすとあっという間に夕飯が完成する。そしてテレビを見ていると今度はあっという間に食事が終わってしまった。
これも良くないぞと思った。食事がだんだんと機械的になっている。


(いや、今日の私はゆず湯に入る!伝統を楽しむ文明人に戻るんだ!)


テレビの音を聞きながら洗い物をしているとお湯が一杯よとブザーが告げた。浴槽を見てみると緑色のゆず達が「お先に」とばかりに湯船に浮かんでいる。いいぞ、と私は思った。準備は万端だ。


(そういえばゆず湯っていつから始まったんだろう?)


一切知らないのも格好悪いと思い、私はスマホで調べてみた。
なるほど。江戸時代から始まった冬至の習慣で、血行が良くなり風邪を引きにくくなるらしい。ゆずを輪切りにすることもあるそうだ。その方が成分がたくさん出てきそうだが、すでに彼らは湯に浸かっている。
あちゃーと私は思った。今から取り出して輪切りにしようか。いや、そこまで厳密にする必要もないか。迷った挙句、こう考えた。
食べたらもっと体に良いはず。明日残りを食べるから今日はセーフだ。


「さてさて。じゃあ入りますか」


私は服をそそくさと脱ぐとシャワーをかけ、いつもどおり体と頭を洗い始める。もはや全自動と言ってもいいくらいに体が一連の動作を覚えており、考え事をしながらでも頭から爪先まで洗えてしまう。これも食事と同じく機械的になってしまった。
いつもならこれで風呂は終了。服を着てコタツに入り、テレビを見ながらスマホをいじる所だが、今日は違う。浴槽に緑色の頭を浮かべているゆず達に足を入れ、ゆっくりと体を浸した。


「あ……ああああああ」


思わず声が出てしまった。
仕方ない。久しぶりにお湯に浸かる感触に全身が喜んだのだから。
首まで浸かると体が少し軽くなり、温かさが体を包む。まさに極楽浄土だった。


「ふううう……」


また声が出た。
今までシャワーで済ませていた自分をこっぴどく叱りたいくらいに気持ちよかった。実家から出てきて3年。正月には実家に帰っているが、むこうも私が出て行ってから湯に浸からなくなったらしく、全員がシャワーで済ませるようになっていた。3年ぶりの湯船だ。日本人なら湯船に浸かれなどとは思わないが、これを楽しまないなどもったいない。この快感のためならお風呂掃除くらい我慢しなければと自分を戒めた。


(おっと。こいつらを忘れちゃいけない)


私は浮かんでるゆずの一つを手に取った。顔に近づけて匂いをかぐと独特の爽やかな香りが鼻腔に満ち、幸せが5割増しくらいになった。ゆず風呂は大正解だ。分けてくれた同僚にも感謝を送ろう。変なキーホルダーと比べてごめんね。
他のゆずも手にとって香りを楽しみ、湯気のこもった浴室で心の垢が落ちてゆく気がした。


食べてみようかなと私は思った。
ちょっと行儀は悪いが、私は一つの皮をむいて果実を一房口に入れてみた。


「ん~~~!!」


酸っぱい!食べる前から唾液が滲んでいた口内に酸味が広がってじゅわっと追加の唾液があふれてゆく。ものすごく酸っぱい。でも、食べたことを後悔するほどの不快さはない。健全な酸味というやつだ。


(輪切りにしなかったけど、これで体に十分吸収されたはず!)


私はしばらく湯船に浸かり、ゆずと同じくぽかぽかに温まっていった。
そろそろ出ないとのぼせるかもと思いつつ、何か忘れてる気がした。
なんだろう。


「あっ!カキ氷だ!」


私は大事なことを思い出した。
童心に戻ってお風呂でカキ氷を食べる予定だったのに、冷蔵庫に入ったままだ。どうしようかと私は迷う。今から体をさっと拭いて冷蔵庫のカキ氷を取り、戻ってくるべきか。怠惰と享楽の駆け引きが始まった。
明日もゆず湯にして改めてかき氷を食べようか。
いや、ひょっとしたらゆずの香りや効能が弱まっているかもしれない。ゆず湯を最大限まで楽しみながらカキ氷を食べるには今日しかない。


(がんばれ、私。風呂から一度出るのも面倒なら文明人失格だ)


私は湯船という極楽から脱出し、バスタオルでささっと体を拭くと浴室から出た。
ひんやりした空気が一瞬心地よかったがすぐに季節を思い知る。急いでカキ氷とスプーンを手に取ると浴室に避難した。


「う~、寒い寒い」


一瞬だったにもかかわらず、外気に曝された体は鳥肌が立っていた。
湯船に足を入れると1回目と同じ快感がやってきて、また「あああ」とだらしない声が出た。癖になりそうな心地よさ。急に温度が変わると心臓に負担をかけるらしいが、これなら何回か繰り返したいくらいだ。


浮かんだゆず達に迎えられながらプラスチックの蓋を取り、みぞれ味のカキ氷を堪能しようとする。ところが、スプーンを挿そうとしてもまだカチカチに固まっており、うまく掘り起こせない。私は道路に溶け残った雪みたいにじゃりじゃりの状態が好きなのに。
これなら冷蔵庫から出して少し溶かしておいたほうが良い感じに食べられただろう。何事も計画を立てて実行したほうが良いなと思いつつ、私は掌の上にある冷たい食べ物と戦った。
お湯のおかげで氷はすぐに溶け始め、私が好きなじゃりじゃり状態になった。スプーンの上に多めに乗せると一口目を食べる。


「んんん!」


罪深い美味しさ。
そんな表現しかできないが、私は極楽の中で別の至福を味わった。先ほどのゆずの酸っぱさが洗い流され、冷たく甘い感覚が口の中に満ちる。それに対して体は湯船の中でぽかぽかだ。なんという贅沢。まさに罪だ。


(そういえば清少納言の枕草子にカキ氷の話があったっけ?)


私はぼんやりと千年前の書物を思い出した。
一時期、古典にはまっていた事があり、枕草子や源氏物語を読み耽っていたことがある。たしか枕草子に「あてなるもの」という件があり、その中に「削り氷にあまづら入れて新しき金碗に入れたる」という記述があった。あてなるものとは上品な物という意味だ。あまづらは蔦の一種から取り出したシロップで、それを金属のお碗に入れたかき氷にかけて食べることを上品な物の一つに含めているわけだ。
たしか水晶の数珠や藤の花もあてなるものに含めていたはず。風流な人だったんだろうけど、カキ氷を含めるところがなんとも可愛い。ああいう書物を通じて当時の生活様式を想像するのがすごく楽しかった。


私は久しぶりに平安時代の貴族文化に思いを馳せる。自分の持っている容器はプラスチックであるが、スプーンは表面が結露しており、なるほど、これが金属容器だったら水滴がきらきらと光って綺麗だろうなと思った。
清少納言が生きた時代はお風呂といえば蒸気風呂が主流で、しかも占いによって入る日を決めていたらしい。体の汚れを落とすと邪気が入り込むと信じられていたせいだ。今や湯沸かし器で風呂を沸かし、石鹸やシャンプーで毎日体を洗う。しかも近所のスーパーでカキ氷を買って食べている。清少納言が見たらなんて言うだろう。


(彼女も蒸気風呂でカキ氷を食べるなんて贅沢をしたのかな?)


ありえないと思うけど私はその光景を想像して笑ってしまった。
湯気のこもった狭い部屋に声が響く。
久しぶりに笑った気がした。


カキ氷はどんどん溶けていくので私はすぐに食べ終えてしまい、もう一度ゆずの香りをかいだ。
なんとなく不足していたものを取り戻した気がした。心のゆとりというものだろうか。3年間機械的に体を洗うだけの浴室で久しぶりに「今、生きてるな」と思えた。


「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と枕草子には書かれている。その三温泉が素晴らしいということで、どこの温泉かは諸説あるが、清少納言も蒸気風呂で満足していたわけではないのだろう。風呂の回数が少なかったから香を焚いて匂いを誤魔化していたし、「ノミが服の下で飛び跳ねるのは憎らしい」という記述もあるのだから当時の衛生状態はお察しだ。
しかし、あの時代にはあの時代の幸せがあったはずだ。少なくとも冬に風情を感じて歌を詠む心の余裕が彼女にはあった。現代人にはやや不足している。


楽しくなった私は想像の翼を広げた。今から千年後にはどんな生活があるのだろう。風呂文化は残っているだろうか。そういえば大学時代に読み耽ったSF小説にも変わった風呂はあまり出てこない。きっと予想が難しいのだろう。未来人から見れば果物と一緒にお湯に浸かることは「古代人の奇妙な風習」として歴史の本に載っているかもしれない。ひょっとしたら千年前の清少納言も「千年後のお風呂はどういう感じかしら」なんて考えただろうか。


私はまた笑ってしまった。
体と心がすっかりほぐれている。
湯船の効果かゆずの効能かは知らないが、大したものだ。


私は誰かとこの事について話したくなった、しかし、会社の同僚にお風呂と枕草子とSF小説に興味がある人はいない。高校時代の友人に電話をかけてみようか。とはいえ、こんな時間にかけてお風呂がうんぬんと言われても閉口するだろう。こんな時間に雑談してくれる変わり者なんて……。


(ああ、一人いるか)


私は存分に極楽の湯を楽しみ、のぼせてきたのでようやく上がり、バスタオルで体を拭いた。ゆずを洗面器に入れてお湯を抜く。明日もう一度使おうか思案中だ。
パジャマを着てドライヤーで髪を乾かすと風呂掃除をした。洗濯機を稼動させるとつけっぱなしのコタツに入ってスマホのボタンをいじる。


「もしもし、母さん?……ああ、うん…………いや、変わりないよ」


私は話をしながら充電器にコンセントに挿し、携帯をつなげた。
久しぶりに母親と長い会話になりそうだったから。

その他の入賞作品については、エブリスタからご確認いただけます。
たくさんのご応募をありがとうございました。

myTOKYOGASロゴ は、おトクで便利なサービスがいっぱい!

  • その1 使用量や請求額が みえる
  • その2 パッチョポイントが たまる
  • その3 便利なサービスで ためになる
  • myTOKYOGASお得がいっぱい! ※登録料・利用料は無料です。